2016年10月28日金曜日

ラトル指揮!MET渾身の《トリスタンとイゾルデ》現地レポート

小林伸太郎(音楽ライター/NY在住)

 メトロポリタン・オペラがリンカーンセンターにある現在の劇場に移ってから、今年はちょうど50年目となる。METはこの記念すべき2016-17シーズンを 、ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》新演出上演で926日に開幕した。

 決して満たされることのない愛を描いた、ワーグナーの最もロマンティックで濃密な作品である《トリスタンとイゾルデ》。後に「トリスタン和声」と呼ばれる独特の和声など、音楽史上、革命的な作品として知られるが、満たされない愛そのままにうねる独特の響きは、その世界に取り憑かれたら最後、抗い難い魅力で聴くものを虜にしてしまう。上演に5時間以上かかり、オーケストラ、歌手に対する要求がとりわけ厳しい大作でもある。そんなエピックを50周年記念の初日に持ってきたことに、METの過去に対する誇りと、未来への意気込みが感じられる。


 この日の指揮は、サイモン・ラトル。2010年にドビュッシー《ペレアスとメリザンド》でMETデビューして以来の登場だ。2002年以来ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督を務めるマエストロ、世界的に引っ張りだこのため、再びMETに戻ってくるのに6年もかかってしまった。キャストも、イゾルデ役のニーナ・ステンメを始め、現在最高といわれる歌手が揃えられ、ワーグナー・ファンならずとも期待が高まる布陣だ。ニューヨーク音楽シーンでおそらく最も華やかな正装の観客で溢れるMETのガラの雰囲気が、その期待感をさらに倍増させる。

 
果たして劇場を満たした期待感は、あの有名な前奏曲の第一音から、静かに時空を包み込むような終幕まで、鮮やかに報いられた。オーケストラに「ウールよりもシフォン」の質感を繰り返し求めたというラトルの音楽は、時に激しい感情にうねりながらも、どこまでも清澄に流れる。その透明で混じり気のない美しさは、許されない愛かもしれないが、トリスタンとイゾルデにとってはどこまでも純粋な、唯一無二の愛であることを、静かに力強く語りかける。METのオーケストラも、ラトルの要求に十全に応え、これまでになく繊細なワーグナーを聴かせる。

 マリウシュ・トレリンスキの演出は、開幕から繰り返し戦艦のレーダーを映し出し、1幕は巨大なるも息苦しい密室である戦艦、2幕は武器倉庫、3幕は病室と、非常に過酷な現代世界を背景に展開する。それはそのまま、トリスタンとイゾルデの二人が直面する過酷な現実でもある。トレリンスキは、映像も駆使して、とりわけトリスタンの孤独な旅路を克明に描く。そんな中、二人の怒り、驚き、憧憬、そして絶望は、どこまでも人間的にリアルに迫る。

 
 ニーナ・ステンメのイゾルデは、昨シーズンの《エレクトラ》の戦慄の名演からして、素晴らしいであろうことは予想できた。しかし、その瑞々しいまでの新鮮な演唱は、予想をはるかに超えたものであった。それは彼女の経験に裏打ちされたものであることは間違いないのだが、トリスタンを演じるスチュアート・スケルトンの若々しく柔らかな表現にも大いにインスパイアされたのではないだろうか。二人の許されざる愛がマルケ王の知るところとなった時、トリスタンはイゾルデに向かって尋ねる。自分がこれから行く、暗い闇の国に君はついて来てくれるかと。イゾルデはそこでもちろん強い肯定の返事をするのだが、ここで私は思わず涙ぐんでしまった。神々しいワーグナーは想像しやすいけれど、
ここまで感情移入させてくれるワーグナーは、滅多にない。マルケ王の孤独が切々と迫る圧倒的な存在感のルネ・パーペ、トリスタンとの愛に我を忘れたイゾルデに、どうにもならない鬱屈感を感じる侍女ブランゲーネをリアルに表現するエカテリーナ・グバノヴァなど、共演者もよく揃った。

 トレリンスキの演出、そしてそれに応える出演者のニュアンスに富んだ演唱は、HDカメラもきっと鮮やかに捉えてくれることだろう。リンカーン移転後50周年を迎えるMETが、渾身の力を込めて送り出す《トリスタンとイゾルデ》。見逃さないでいただきたい。




写真
(C)Ken Howard/Metropolitan Opera
(C)Jonathan Tichler/Metropolitan Opera