2015年11月6日金曜日

《オテロ》現地評のご紹介


ソニア・ヨンチェーヴァは一流のキャリアを歩むのは間違いないであろう・・・彼女の官能的な歌声には、素朴な色合いと質感があり歌声のきらめきを見事に調和させている。この作品のハイライトで、壮大に演出された第3幕終わりの合唱の場面では、彼女は特に際立っていた。大勢のキプロスの人々とヴェネツィア大使を前にして、オテロはデズデーモナを罵り、髪を引っ張って地面に平伏させる。打ちひしがれたデズデーモナは、苦渋に満ち訴えかけるようなフレーズで、耐え難い屈辱を表現する。コーラスを突き破り響き渡るヨンチェーヴァの高らかな歌声は、この可憐な愛情深い妻に果敢に抵抗する力があることを示唆しているかのようだ。〈柳の歌〉や〈アヴェ・マリア〉をこれ以上美しく歌えるソプラノが、いま彼女以外にいるだろうか? ニューヨーク・タイムズ

METにふさわしい壮麗さが光る、真摯で、思わず心動かされる素晴らしい演奏だった。指揮のヤニック・ネゼ=セガンは、切れのよい演奏を見事に率いた。激しい感情があふれ出す瞬間は深い印象を残し、デズデーモナの第4幕は大切に形作られ(オーケストラピットとステージが理想的なバランスであった)、オーケストラはあたかも生命を吹き込まれたかのように生き生きとした演奏を披露した。
フィナンシャル・タイムズ


ヨンチェーヴァはカリスマ的な役者であり、彼女の表情は感情をそのまま映し出すスクリーンのようだ。もっとも、彼女が役のキャラクターを創り上げているのは、その歌声でもってである。ヴェルディの見事な歌唱とは、単に次々とアリアをミスなく完璧に歌いこなすことではなく、それぞれに明確なコントラストのある演唱を重ねていくことで感情の動きを表現する技術にある。〈柳の歌〉や〈アヴェ・マリア〉のような、死を目前に控えたデズデーモナの独唱場面でのヨンチェーヴァの歌唱は、まさに繊細な心のひだを表現する最高の見せ場だった。
—  ニューヨーカー


写真(C) Marty Sohl/Metropolitan Opera、
      (C) Ken Howard/Metropolitan Opera