2015年11月20日金曜日

観客が等しく胸を締めつけられる感動のラスト!《タンホイザー》みどころ

 東条碩夫(音楽評論)

 官能の女性ヴェーヌスと、純愛の女性エリーザベト━━この2人の女性に惹かれ、彼女たちの間を揺れ動く詩人騎士のタンホイザー。深層心理的に言えば、これは1人の女性の両側面を象徴する性格ともいえるだろう。そしてタンホイザーは、「清らかな愛をもつ女性」に救われて死んでゆくのだ。これは、ワーグナーの作品にしばしば見られる、「女性による救済」の、ひとつの典型例なのである。
 今回の上演では、ワーグナー自身が後年に円熟の筆致で改訂した、いわゆる「パリ版」楽譜が使用されているので、2人の女性の世界が、さらに明確になる。特に第1幕での官能の世界ヴェーヌスベルクの場面が長くなっているため、魅力的なヴェーヌス(ミシェル・デ・ヤング)の存在が際立つだろう。この場面でタンホイザー(ヨハン・ボータ)が肉欲の女神を讃える歌は、序曲にも現われている。
 オペラでは、各幕それぞれの中でタンホイザーが2人の女性の間を彷徨うことになるのだが、ワーグナーがそれをまた実に鮮やかに音楽で描き分けているのだ。「(聖母)マリア!」あるいは「エリーザベト!」の一言で場面や状況が大転換するあたりにも注意をはらおう。



 聴きどころは、山ほどある。
 まず、「パリ版」の特徴として、有名な序曲の途中から熱狂的なバレエ(「バッカナール」)に切り替わる。この版ではバレエ場面も長いため、それも愉しめるだろう。ジェイムズ・レヴァインが率いるMETのオーケストラの演奏の壮麗さも聴きものだ。

 豪華な舞台の第2幕では、冒頭にエリーザベト(エヴァ=マリア・ヴェストブルック)が高らかに歌う「歌の殿堂」がまず聴きものだ。ここでは純な少女というより、意志の強い大人の女性といった雰囲気の歌唱表現だろう。また第2幕では、有名な「大行進曲」ほかで、METの合唱団の底力が愉しめる。

 第3幕では、まずエリーザベトが絶望して神に祈る「エリーザベトの祈り」、次に詩人ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ(ペーター・マッテイ)が歌う有名な「夕星の歌」、そしてタンホイザーが呪わしいローマ巡礼を回想する長大な「ローマ語り」━━と、聴きどころが続く。特に「ローマ語り」は、話の内容に関連する音楽のモティーフが次々にオーケストラに現われるという形が採られ、ワーグナーののちの作風を予告する。ボータが全力で凄味を利かせるところだ。
 そして、死せるタンホイザーに救済が告げられるラストシーンで、壮大に巻き起こる有名な「巡礼の合唱」は、観客が等しく胸を締めつけられる感動の瞬間であろう。


 この上演に今シーズンの全てをかけた感のあるMET音楽監督レヴァインの指揮が素晴らしい。「序曲」や第2幕と第3幕の序奏の個所で映し出される彼の入魂の指揮ぶりを見ていると、大METは40年近くにわたってこの人に支えられて来たのだという感慨、そして病を克服して復帰した彼が、これまでになかったような音楽の高みに到達しているのだという感慨が、沸々と湧き上って来る。
 演出は、オットー・シェンクである。「ばらの騎士」や「ニュルンベルクのマイスタージンガー」をはじめ、数々のトラディショナルな美しい舞台を創って来た人だ。この「タンホイザー」でも、極めて写実的な光景が繰り広げられる。謎解きが要るような読み替え演出が大嫌いな人たちや、「タンホイザー」を初めて観る人たちには、安心して楽しめる舞台だろう。              

(C) Marty Sohl/Metropolitan Opera