2013年10月6日日曜日

《エフゲニー・オネーギン》現地レポート: このオペラを演ずるために生まれてきたようなネトレプコ&クヴィエチェン!

毎年、秋の訪れをニューヨークに告げるメトロポリタン・オペラのシーズン・オープニング。今年は923日、チャイコフスキー作曲《エフゲニー・オネーギン》で開幕した。もちろん新演出上演、アンナ・ネトレプコとマリウシュ・クヴィエチェンの主演が話題だ。2人とも昨年に引き続いてのオープニング出演だが、ネトレプコは3年連続して登場の快挙だ。

思い起こせば、彼女がMETにデビューしたのは、2002214日、プロコフィエフ作曲《戦争と平和》だった。その壮大なるスケールが話題となった公演であったが、何よりも人々のイマジネーションを捉えたのは、ナターシャ役を可憐に美しく歌ったネトレプコであった。あれから10余年。今や、誰もが認めるMETのリーディング・ソプラノとなった彼女が、ロシア・オペラの最高峰の一つ、《エフゲニー・オネーギン》のヒロイン、タチヤーナ役を遂にMETで歌ったのだ。 

ロシアの文豪、アレクサンドル・プーシキンの同名の韻文小説を原作としたチャイコフスキーのオペラは、冒頭から秋のようなメランコリックで美しい旋律に溢れている。メロウに成熟した現在のネトレプコの声は、そんな清澄な世界に素晴らしくマッチする。田舎の引っ込み思案な娘・タチヤーナは、突然現れた都会的センス溢れる男・オネーギンに恋い焦がれ、情熱的に手紙をしたためてその思いを告白する。しかしオネーギンは「自分は君向きではない」と冷酷に拒絶する。こんな不器用でぎくしゃくした娘を、ネトレプコは真実味溢れるエモーションとともに、実にストレートに表現してくれる。オネーギンの拒絶をじっと耐え忍ぶ彼女の姿に、説明は何もいらない。拒絶された後、自分の命名日を祝う宴でオネーギンに会わなくてはならないタチヤーナの辛さ、やるせなさも、ただそこに存在するだけのネトレプコから全てが伝わってくる。この場面のデボラ・ワーナー原演出のステージングは、パーティーの群衆の動かし方が巧みで、観客の視線を常にドラマの焦点からそらさせない。クヴィエチェンのオネーギンも、自己満足ぎみの男の身勝手さを振りまきながらも、随所に人のよさ、彼なりの誠実さを感じさせ、なぜ純粋なタチヤーナの心をオネーギンが捉えたかを納得させてくれる。

そして数年後、別の男と結婚したタチヤーナは、社交界の華としてオネーギンの前に現れる。ネトレプコはここで、見事なトランスフォーメーションを見せる。内に秘めた情熱そのままのようなボルドー色のドレスを見事に着こなした彼女は、歩き方、座り方、視線の動かし方など全てが自信に溢れ、しかもオネーギンの登場に動揺している様を、我々観客に伝えてくれるのだ。そんな彼女の前にひざまずき、彼女の「愛」を乞うオネーギンと、蘇る情熱に千々に乱れるタチヤーナの心。このオペラを演ずるために生まれてきたようなネトレプコとクヴィエチェンだが、万感こもるラストの一瞬は、ご覧頂くしかない。レンスキーを歌うピョートル・ベチャワを始め、共演者も充実している。

終幕後、出演者はオペラハウス外のパブリックビューイングを見守る数千人のファンのため、バルコニーに姿を現した。満面の笑顔で、ファンの声援に応える出演者の顔。これもすっかり、オープニング・ナイト恒例となったネトレプコとMETにおける共演を《戦争と平和》以来初めて果たしたワレリー・ゲルギエフも、充実感あふれる笑顔で観客に応えていた。

静かに忍び寄る、憂愁の秋。チャイコフスキーのメランコリックな世界に浸った一夜であった。

小林伸太郎(音楽ライター/ NY在住)
写真 (C) Ken Howard/Metropolitan Opera